ネイサンと羽生、世界選手権フリーは記憶に残る名勝負

ネイサンと羽生、世界選手権フリーは記憶に残る名勝負

朝の公式練習から落ち着いていたネイサン

【大会レポート2 フリー編】
大会レポート1ショート編はこちら

 

ショートプログラムを2位のブラウンと10.59点差、3位の羽生と12.53点差で中一日おいてフリープログラムの試合が行われた。前日の練習リンクでは2回公式練習が行われたが、羽生や宇野が昼をスキップする中ネイサンは昼、夜共に練習に参加した。試合の翌日ということもあり、昼の練習では曲かけでは一度もジャンプを跳ばず、その後もスケーティングに専念し、ジャンプは踏み切りのタイミングを計る仕草だけで終えたそうだ。

明けて翌日の試合前の公式練習は早朝から多くの観客が詰めかけ、見守る中で行われた。ネイサンは最終グループ5番滑走。まずは入念なウォーミング・アップから始め他の選手がジャンプを跳び始めてもなかなかジャンプを跳ばない。コレオシークエンスで体を十分に動かした後ダブルジャンプから始めトリプルジャンプへ。後半の3つのコンビネーションジャンプを確認。

その後曲かけ前に全ての4回転とトリプルアクセルを振付を入れながら確認。最も心配された4回転フリップはお手つきや着氷が乱れるものもあったが筆者が練習初日に観た時に比べかなり修正されていた。4回転ルッツもだが短期間でここまでの修正はアルトゥニアンコーチの手腕とネイサンの修正力がいかに素晴らしいかががわかる。

曲かけでは【4回転ルッツ、4回転フリップ、4回転トゥループ、トリプルアクセル、軽めのステップシークエンスを挟んでイーグルから4回転トゥループ+3回転トゥループ、3回転ルッツ+3回転トゥループ、、3回転フリップ+1eu+3回転サルコウ、コレオシークエンスを少しだけ、足換えのフライングコンビネーションスピン】とジャンプは全て遂行し、どれもGOE+が付くような完璧なジャンプだった。ほぼ通して滑ったが体もキレておりとても落ち着いた素晴らしいできで観ていてなんの不安もなかった。

珍しく足換えのキャメルスピンと足換えのコンビネーションスピンも入念にチェック。ジャンプだけでなくスピン、ステップでもレベルを取りこぼさないぞという意気込みが感じられた。

最後はフリップの軌道を何度も確認。やはりフリップが最も気になるのだろう。終始落ち着いた態度で顔も良い感じに締まっていた。最後は羽生と二人になり両者時間いっぱいまで練習する姿は2017年の平昌での四大陸選手権を彷彿とさせた。

羽生の渾身の演技に燃えるさいたまスーパーアリーナ

本稿はネイサンの大会レポートではあるが、ネイサンの演技を語る上でも今後も語り継がれていくであろう羽生の演技を語らないわけにはいかない。

最終グループ4番目、22番滑走の羽生は多くの観客の声援を力に換え素晴らしく感動的な演技だった。ショートプログラムでは4回転サルコウが2回転サルコウになる痛恨のミス。体のキレは決して悪くなさそうなのにどこかいつものオーラが感じられなかった。しかし、この日のフリーは違った。出てきた時からいつもの羽生だった。朝の公式練習でとても苦戦していた4回転ループをきっちり降りてきた。祈るように見守っていた観客達がそこから一気にボルテージが高まる。一つ一つのエレメンツを成功させるたびに観客の声援は大きくなる。後半の羽生しかできない4回転トゥループとトリプルアクセルのシークエンスが美しく決まると音楽も聞こえないほど会場中が興奮状態に。演技が終わると同時に観客はスタンディングオベーションで渾身の演技を称え、鳴りやまない拍手喝采。演技もだが、不調だと思われた朝の公式練習からしっかりと本番に合わせてきた姿に誰もが感動した4分間だった。2度の五輪王者の意地も力も見せつけた。

「くまのプーさん」が大量に投げ込まれた興奮冷めやらないリンクにネイサンが登場した。プーシャワーの後にネイサンが滑るのは筆者が生観戦しただけでも6回目(2016NHK、2017四大陸、2017ヘルシンキワールド、2017ロステレコムのいずれもフリー、そして2018平昌五輪SP)である。今回の滑走順抽選でも正直誰もが「またか」と思ったに違いない。

今回は投げ込みがプレミア席に限定されていたためプーさんの量は多いもののL字に固まっておりいつもと違ってリンクの半分には何もなかった。プーさんの回収中もリンク半面でゆっくりと落ち着いてウォーミングアップをするネイサン。羽生の得点がコールされ300点越えの今季世界最高点が大型スクリーンに表示されると熱狂が再び会場を包む。

そしていよいよネイサンがコールされリンク中央に立ちスタートポーズをとる。会場中が固唾をのんで見守る中、静かにLand of Allの曲が流れた。

高い技術に芸術性が加わった圧巻のフリープログラム

スタートして25秒後にはこれまで観た中でも最高かというくらい美しい4回転ルッツが決まった(基礎点11.50+GOE4.76 16.26 ジャッジ全員が+4~+5のGOEを付けた)。次は問題の4回転フリップ。堪えながらもしっかり着氷(基礎点11.0+GOE2.04 13.04)。ここからウッドキッドの切なく良く伸びるボーカルがさいたまスーパーアリーナに響き渡る。前半残りの2つのジャンプ、4回転トゥループとトリプルアクセルが非常に流れが良くエフォートレスに着氷。次のエレメンツの足換えのキャメルスピンは顔を下に向けたポジションがとても美しい。そこから全身が良くコントロールされた丁寧なステップシークエンス。

そして後半へ。後半1.1倍となる3つのジャンプは全てコンビネーションジャンプ。これは全選手中羽生とネイサンだけだ。美しいイーグルからの4回転トゥループ+3回転トゥループ、3回転ルッツ+3回転トゥループとジャンプを決め、最後は3回転フリップ+1Eu+3回転サルコウ。最後の3回転サルコウはよく堪えた。そこからがこのプログラムの大きな見せ場の一つであるコレオステップシークエンス。ネイサンにしかできいないようなよく音楽に合った力強い独創的な動き。最後までエネルギーに溢れた素晴らしいコレオだ。

最後は2つのコンビネーションスピンを畳みかけた。回転軸がしっかりしており回転も速く、十分にコントロールされて姿勢も美しい。スピン、ステップ共にすべて最高難度のレベル4を獲得した。

 

【フジテレビ公式】世界フィギュアスケート選手権2019<男子フリー・第4グループ+表彰式>ノーカット配信

終わってみれば技術点121.24点、演技構成点94.78点、トータル216.02点はルール変更後のフリープログラムの世界最高点での優勝。技術点の加点は+26.85点、演技構成点はショートに続いて5項目全てで9点台を揃え、94.78点。ネイサンの演技構成点としては過去最高となった。ショートプログラムと合わせた323.42点ももちろん世界最高点でショート、フリー共にクリーンに揃えた圧巻の演技だった。

ジュニアの頃は「表現力のチェン」とされ演技構成点が非常に高い選手だった。バレエの基礎ができており指先からつま先まで美しく体の使い方や足捌きも上手く、音楽性も高い。しかし、シニアに上がってからはどちらかというと技術先行、4回転の数ばかりが注目されてきた。今回のフリーは最高難度の技術を披露しながらもただエレメンツをこなしているだけではない。4回転の数を減らしたことで余裕も出たのかとにかく全てがかみ合って最後まで曲の世界観を演じ、本当に美しかった。

優勝が決定した数時間後のブライアン・ボイタノのインタビューで「まさにこれを目指して練習してきたんだ。これこそ僕がスケートで得たかったもの全てなんだ。本当にそれが叶って驚いている」と語った(NBCスポーツより)。ジャッジも高い演技構成点を出し、ネイサンがホールパッケージの選手であると認められた瞬間だった。

(フリーの演技)

 

ヴィンセント・ジョウも3位に入り、アメリカ男子の複数メダルはトッド・エルドリッチとルディ・ガリンド以来23年ぶりとなった。以前このLabの「アーバインの新リンクとラファエル・アルトゥニアンコーチの夢」という記事でも書いたが、米スケート連盟が取り組んできた改革が実を結んできたと言えるかもしれない。

(国旗を身にまとい笑顔でウィニングランをする二人)

 

試合後ISUのインタビューに(インタビュアーはキャシー・リード)に次のように優勝の喜びを語っている。

物凄く満足。日本に来て素晴らしい観客の前で滑れて、世界のトップと戦えて嬉しい。またSP FS共にクリーンに滑れて嬉しい。今シーズンはずっとそれを目指していたので、それが世界選手権で出来て最高です。
学校へ通い初めてからスケートに対して違った見方ができるようになったし、滑るのを以前より楽しめているし、その瞬間を大事にできるようになった。スケート人生には終わりがあるから、氷に乗れる(試合等の)機会は全て逃さないようにしたい。こんな経験ができてもの凄く有難い。今は喜びに浸りたくて、この先はいずれくるから来シーズンについてはその時に決めるでしょう。今は起こった事を楽しみたい。

ネイサンにとっては今シーズンはイエール大学に入学し、コーチと離れた練習、親元を離れた寮生活、学業と怒涛のシーズンだった。世界屈指の大学の学生と世界のトップアスリートとの両立が本当に可能なのか誰もが疑った。しかし、ネイサンはGPSアメリカ、GPSフランス、グランプリファイナル、全米選手権、そして世界選手権と今シーズン全ての試合で優勝し、最後は世界最高点まで叩き出した。想像もできないくらいの努力と己を律する力、きっと何かを犠牲にしたり諦めたこともあったかもしれないと思うともう言葉にならない。

ネイサンの会場での優勝インタビューも全ての選手や観客、関係者に敬意を払った素晴らしいインタビューだった。

優勝インタビュー

【フジテレビ公式】世界フィギュアスケート選手権2019<男子フリー・第4グループ+表彰式>ノーカット配信

他にもプレスカンファレンスやメリル・ディビスさんによるインタビューなど多くのインタビュー記事の翻訳が本サイトの「ISU世界フィギュアスケート選手権2019」にまとまっているのでぜひ見て欲しい。

 

素晴らしい記憶も記録も残した2019年の世界選手権も閉幕した。試合終了後、ネイサンと羽生をはじめ選手同士がお互いをリスペクトし合う様子に心打たれた。羽生の「もう難しいことをして本当完全に勝ちたいなって改めて思いました」(日本テレビ バンキシャインタビューより)という言葉はスポーツはこれだと感じさせてくれた。大きなルール変更があったが選手それぞれがルール変更に合わせてクリーンに滑ろうという意思が見えた大会ともなった。日本勢以外だとショートではブラウンの素晴らしい演技、クリーンな4回転を入れてトップ選手の仲間入りをしたマッテオ・リッツォ、フリーは思い切った演技で復活の兆しが見えたコリヤダ。チェコに2枠をもたらしたベテランのブレジナも素晴らしかった。そして今季で引退するマヨロフには惜しみない拍手とスタンディングオベーションが送られたのも心に残る瞬間だった。

来シーズンもどうか全ての選手が怪我や病気をすることなく健康で良い環境で練習でき、素敵な演技をまた私たちに届けてくれるよう願って止まない。

 

大会レポート1ショート編を読む

次回はネイサンや関係者のインタビューからネイサンのこの1年の進化について考えてみたいと思う。